石舞台古墳とは?
奈良県明日香村にある、7世紀初頭の古墳時代後期に築造された、飛鳥時代に"嶋大臣"と呼ばれ権勢を振るった蘇我馬子の墓と推察される方墳。
多武峰の麓より運ばれた、総重量2300トンにも及ぶ30数個の花崗岩により組まれた横穴式石室が露出した大変珍しい古墳で、長さ約11.5m 幅2.5mの「羨道」の先に、長さ約7.6m 幅約3.5m 高さ約4.7mの「玄室」があり、内部より「天井石」を見上げられる。
その名の由来は定かではないが、約77トンと約64トンにも及ぶ2つの巨大な天井石を舞台に、女性に化けた狐や旅芸人が舞を見せたという伝承も残る。
1933年~1935年にかけて行われた発掘調査にて、周囲に幅8.4mの「空堀」や約7mの「外堤」が存在することや、小古墳を取り壊し築造されたことが確認されている。
元々土を盛った墳丘で覆われた1辺約50mの方墳で、外堤まで入れると1辺約80mの墳墓だったという見方が有力で、1952年3月29日には国の特別史跡に指定されている。
石舞台古墳の見所
蘇我馬子の墓?
近くに蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓との説が有力だが定かではない。今から1400年も前の話であり当然といえば当然だが、謎めいている所がまた古代ロマンを呼ぶ。
石舞台古墳
横穴式石室が露出した大変珍しい古墳だが、こうして見ると石舞台とはよく言ったものだ。石室が暴かれ露出しているのは、蘇我氏衰退後に生前の馬子の横暴な振る舞いに対する報いだとも言われているが、これもロマンか…
排水溝に注目!
横穴式石室の入口から、縦方向に排水溝が設けられた長さ約11.5m 幅2.5mの羨道があり、その奥に長さ約7.6m 幅約3.5m 高さ約4.7mの玄室がある。玄室の四方にも排水溝が巡らされており、古代の排水設備の周到さに驚かされる。
石組みの素晴らしさ
玄室上部には、約77トンと約64トンの2つの巨大な天井石が置かれている。こうして中に入ってみると、一つ一つの石の大きさと石組みの素晴らしさに改めて驚かされる。古代のお墓の中にいるというのも、不思議な感覚だ!
横穴式石室の石組みに注目!
巨大な石組みを内外からぐるりと見回し、古代人の土木技術の高さを体感しよう!
まさに石舞台という感じの天井石だよ!
約77tと約64tの2つの巨大な天井石。外から眺めても中から見上げても、その大きさに圧倒されるよ!
古代の排水施設に注目!
玄室の内部四方から羨道にかけて設けられた排水溝による、古代の排水施設に注目!
石舞台古墳 編