林泉寺とは?
新潟県上越市にある、山号を「春日山」と称する、戦国武将の上杉謙信ゆかりのお寺として広く知られる曹洞宗寺院。
1497年に、上杉謙信の祖父にあたる長尾能景(ながお よしかげ)が、亡き父の17回忌にあたり、居城である「春日山城」の山麓に、曇英恵応(どんえい えいおう)を招き創建したお寺。以後、長尾氏・上杉氏・堀氏の菩提寺となる。
江戸時代の1617年に、上杉氏の転封に伴い謙信の姉である仙洞院により、米沢城下に移されたとされ、現在も上杉氏や直江兼続の菩提寺として同号の寺がある。
また通説では、1578年に急死し甲冑を着用した姿で甕棺に納められたとされる謙信公の遺骸も、この国替えに伴い米沢へ移されたとされるが、寺伝にはそのような記録は残っておらず、境内には今も「上杉謙信の墓所」や「川中島戦死者供養塔」などがある。
「怱門」は、春日山城の唯一の遺構である搦手門を移築したもので、毎年8月に開催される「謙信公祭」の出陣報告の際に開門される。
謙信公直筆の『春日山』『第一義』の文字が躍る扁額のレプリカが掲げられた二重楼門の「山門」は、謙信公の生誕400年を記念し1925年に再建されたもので、左右に高さ約4mの金剛力士像が安置され、天井には『雲龍図』が描かれている。
「本堂」は開創500年を記念し1997年に再建されたもので、御本尊である釈迦如来像が安置されている。また本堂の謙信公の木像と山門の金剛力士像は、いずれも滝川美堂の作。
林泉寺の見所
惣門
現存する唯一の春日山城の建築物と言われる、春日山城の搦手門を移築したとされる惣門。毎年8月に開催される「謙信公祭」の出陣報告の時には、この門が開かれる。現在は残念ながら銅板葺きとなり、趣が薄れている…
山門
上杉謙信公の生誕400年を記念して、1925年に再建された二重楼門の山門。高さ約4mの立派な仁王像が、左右に安置されている。掲げられた扁額の『春日山』と『第一義』の書は謙信公のもので、現在はレプリカで本物は宝物館に!
本堂
本堂は開創500年を記念して、平成時代の1997年に再建されたもので、御本尊である釈迦如来像が安置されている。寂しかった境内も、20世紀になってやっと伽藍が整ってきた感じだ。
墓所図
謙信公のお墓の他、謙信の祖父である長尾能景や父の長尾為景、信長の側近として知られた堀秀政、その父である堀秀重、長男の堀秀治、榊原氏などのお墓がある。
謙信公御墓所入口
本堂左手にある「謙信公御墓所入口」の文字が刻まれた石碑より、林の奥へと石畳が続いいる。一歩踏み入れると一気に空気が変わり、その先に謙信公の墓などが並んでいる。
上杉謙信公の墓
通説では米沢への転封の際に、一緒に謙信公の遺骸も米沢城内へと移され、その後上杉家廟所へと移されたとされるが、寺伝にその記録は無く、今もここに眠っているという説もある…
川中島戦死者供養塔
甲斐の武田信玄との名勝負として知られる、1553年から5度にわたり激闘を繰り広げた川中島の戦いで、命を落としたつわもの達を弔う供養塔だ。
雲龍図
山門の天井には、妙心寺の「雲龍図」や相国寺の「鳴き龍」とまではいかないが、力強い龍が描かれている。仏教を守護する八部衆であり、水を司ることから火災から守るという意味合いもある。
上杉謙信ゆかりのお寺で、長尾氏・上杉氏・堀氏の菩提寺だよ!
謙信公が7歳から14歳で元服する迄、天室光育(てんしつこういく)より教えを請うたお寺だよ!
山門の『春日山』と『第一義』の扁額に注目!
謙信直筆の書とされ、現在はレプリカが掲げられているが、宝物館に本物が保管されているよ!
上杉謙信公のお墓参りを忘れずに!
通説では米沢へ移されたとされるが、墓跡になっているわけではないので、必ずお参りを!
林泉寺 編