佐賀関の大煙突とは?
大分県大分市の海上交通の要所として開け、工業の町としても栄えてきた佐賀関半島で、銅製錬事業を営むパンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所内に2012年まで建っていた「第一大煙突」。
「東洋一の大煙突」「関の大煙突」と呼ばれ、佐賀関のシンボル的存在として親しまれてきた巨大煙突だが、老朽化による落下物や崩壊の危険性から、2012年10月10日より解体が始まり2013年6月に完了。
「第一大煙突」の跡地には、下部1.5mを残し記念碑が建てられ、同年6月25日に除幕式も行われている。
1916年12月に、前身となる久原鉱業が、明治時代に煙害により操業を停止していた佐賀関鉱山を買収し佐賀関製錬所を開設した際に、煙害防止のために標高126.5mの丘の上に建設したのが、高さ167.6mで内径頂上部8m 底部11.5mの鉄筋コンクリート造の「第一大煙突」で、完成当時は世界一の高さを誇っていた。
1972年9月には、紅白のボーダーラインが印象的な、高さ約200mで内径頂上部7m 底部12.5mの「第二大煙突」が完成し、2本の巨大煙突が並び建つ光景は、長らく佐賀関を象徴する風景として観光名所にもなり人気となったが、もうこの光景を望むことはできない。