松本城とは?
長野県松本市丸の内にある「烏城」と呼ばれる「日本100名城」にして、現存12天守の中で唯一の平城。
16世紀初頭に、信濃国守護であった小笠原氏の支城の一つとして築かれた「深志城」がその前身。1550年の武田氏による信濃侵攻にて落城するも、1582年の武田氏滅亡後に再び小笠原貞慶がこの地を治め「松本城」と改名。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐後の国替えにより、石川数正・康長父子が入城し城の整備を行う。5重6階の天守もこの頃築かれたとされ、松本市の公式見解では1593年~1594年とされているが定かではない。
明治時代に入り天守も傾き荒廃が進み、1872年には競売にかけられたが、1903年より明治の大修理が行われると、1930年に国の史跡に。
1936年に「天守」「乾小天守」「渡櫓」「辰巳附櫓」「月見櫓」が国の重要文化財に指定されると、1952年には国宝に。
1950年からの昭和の大修理を経て、1990年に「黒門」「二の門」が、1999年には「太鼓門枡形」が復元されている。
松本城の見所
太鼓門
1595年に、石川康長により築かれたとされる太鼓門。明治初期に破却されたが、1999年に復元されている。高麗門を潜ると、重さ22.5tの玄番石がある櫓門と太鼓楼・石垣などで囲まれた桝形が現れる。
5重6階の連結複合式天守
北アルプスを借景に佇む松本城。大天守の北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓が足された5重6階の連結複合式天守で、松本市の公式見解では、1593年~1594年の築造とされている。
烏城(からすじょう)
黒漆塗りの下見板の外観が、墨塗りとは違う上品な輝きを見せる松本城。派手に主張するわけではないが、にじみ出る美しさがある。同じ烏城でも、岡山城は"うじょう"、松本城は"からすじょう"と呼ばれる。
黒門
1960年に、名古屋城の渡り櫓門を参考に築かれたという格調高き門で、この門を潜るといよいよ本丸となる。かつてはこの先に、本丸御殿があった。歴代城主の家紋の付いた丸瓦に注目だ!
2つの顔を持つ松本城天守
戦国時代の大天守・渡櫓・乾小天守と、江戸時代初期に松平直政が善光寺参詣の家光を迎えるべく建てた辰巳附櫓・月見櫓。戦う城としての閉じた守りの造りと、天下泰平の時代らしい開放的で風雅な造りが融合した珍しい天守だ。
現存12天守で国宝5天守
木造で復元された天守や、ましてコンクリート造のものとは比べようもないくらい貴重な、日本に現存する12天守の1つで、5つしかない国宝天守の1つだ。明治の破却や老朽化による倒壊、戦時の空襲をも免れた貴重な貴重な天守だ。
天守より西側を望む
天守の床面は地上22.1mとなり、西側を望むと、埋橋や若宮八幡跡の先に市街地が見え、その先に安曇平が広がり乗鞍岳・穂高岳・槍ヶ岳・常念岳などの北アルプスが見渡せる。歴代藩主もこの眺めを楽しんでいたのだろう…
天守より北側を望む
天守より北側を望むと、外堀から続く通りの先に、明治初期の文明開化時の小学校建築を代表する洋風校舎が魅力で、国の重要文化財に指定されている「旧開智学校」が見える。国宝と重文、この2つが松本市街地観光の2大スポットだ!
埋橋(うずみのはし)
1955年に内堀に架けられた、松本城の埋門と松本城公園とをつなぐ朱塗りで八ツ橋型の橋。赤い橋越しに見える天守が絵になることから、定番の撮影スポットとなっている。
桜の名所
外堀の桜並木をはじめ加藤清正ゆかりの「清正公駒つなぎの桜」など、松本城公園には約300本の桜があり、県内屈指の桜の名所となっている。「夜桜会」や「光の回廊」などのライトアップイベントも行われる。
現存12天守の1つで、国宝5天守の1つ!
日本100名城は当然のこと、現存12天守の1つであり、姫路城や彦根城とともに国宝5天守の1つでもあるよ!
風雅な赤い欄干の月見櫓に注目!
家光を迎えるべく建てたもので、天下泰平の時代らしく全開で開放的な造りだよ!
予備知識を付けてから行こう!
天守の黒漆塗りの下見板や、黒門の歴代城主の家紋の付いた丸瓦など細部を見逃すな!
松本城 編