猿橋とは?
山梨県大月市猿橋町を流れる桂川に架かる、1932年に国の名勝に指定されている、長さ30.9m 幅3.3mの、山口の錦帯橋や徳島のかずら橋とともに日本三奇橋に数えられる人道橋。
V字で深い桂川渓谷に橋脚が建てられないため、両岸よりせり出す4層の刎木(はねぎ)を支点とした構造の肘木桁式橋で、7世紀に百済からの渡来人である志羅呼(芝耆麻呂)が、手足を繋ぎ断崖を渡る猿をヒントに造ったとの伝説が残ることから、猿橋と呼ばれるようになったという。
一説には『日本書紀』に登場する「兜岩の猿橋」なのでは…とも言われているが詳細は不明。また志羅呼が路子工と同一人物であるという説もあるが、こちらも定かではない。
15世紀には詩文に登場し、甲州街道に架かる重要な橋として、江戸時代の1676年の架け替え工事以降は文献に記録が残る。
刎橋(はねばし)の形状が確認できるのは1756年以降で、歌川広重も1842年頃に『甲陽猿橋之図』に、晩年の1850年代には『六十余州名所図会』に、特徴のある橋の姿を描いている。
現在の橋は、この時代の1851年当時の出来形帳を参考に、1984年8月に総工費3億8300万円をかけ、肘木部に台湾産の檜で覆ったH鋼を使用して耐久性を増し復元されたもの。
この他、上流の旧国道である県道505号小和田猿橋線には1934年建造の橋が、下流の国道20号線には1973年建造の「新猿橋」が架かっている他、国の重要文化財に指定されている「八ツ沢発電所施設 第1号水路橋」もあり、橋の袂には「山王宮」や1755年の「猿橋記碑」が、駐車場付近には「三猿塔」や「猿覚善大神」がある。
毎年4月には「出世大神宮祭」が、6月には「名勝猿橋あじさい祭り」が、7月には「山王祭」が行われ、11月には紅葉の名所として多くの見物客で賑わっている。
猿橋の見所
猿橋 案内図
国道20号線の新猿橋西の交差点を折れ、約100mで橋の袂の駐車場に着くのでアクセスは楽だ。猿橋公園や大月市郷土資料館までも遊歩道が整備されており、5分もあれば楽に行けるようになっている。
山王宮
駐車場から猿橋の入口へと足を進めると、橋の袂に赤い鳥居が目印の山王宮がある。祠の中には、刎橋のヒントをくれた"猿王"こと白毛の老猿の霊像が祀られており、毎年7月に「山王祭」が行われている。
名勝 猿橋
こうして見るとただの木造橋に見え、渡ってみてもただの橋だ。だが下から見上げてビックリの奇矯である。山口の錦帯橋を訪れた時もそうだったが、橋は下から見上げてこそ匠の技がわかるというものだ。
日本三奇橋
「岩国の錦帯橋」「甲斐の猿橋」、そしてかつては「黒部の愛本橋」や「木曽の棧(かけはし)」が三奇橋と言われていたが、いずれも架け替えられ奇橋ではなくなったため、現在では「祖谷のかずら橋」とする見方が多い。
雨よけの屋根
猿橋は、刎木や横柱の上に一つ一つ丁寧に雨よけの屋根がかけられている。今でこそ檜で覆ったH鋼を使用しているが、昔はすべて木材だったわけで、少しでも腐食を防ぐ為の対策がとられていた訳だ。これも先人の成せる業だ。
4層の刎木
岩盤に穴を開け、両岸より刎木を斜めにせり出させ、それを支えにやや長い刎木を乗せ、またそれを支えに…と重ねることで足場構造を築き橋を架けている。南京玉すだれの柳の逆バージョンといった感じだ。
猿橋からの眺め
毎年11月に紅葉の名所として賑わう桂川渓谷の中でも、猿橋は絵になることから人気の高い場所である。手前の橋が「八ツ沢発電所施設 第1号水路橋」で、奥の赤い橋が1973年に造られた国道20号線の「新猿橋」だ。
八ツ沢発電所施設 第1号水路橋
1912年に造られた、八ツ沢発電所の施設である長さ42.7mの鉄筋コンクリート造のアーチ橋。「八ツ沢発電所施設 第1号水路橋」として、2005年12月に国の重要文化財に指定されている。
桂川渓谷
上部に見えるのが「猿橋」で、中程の奥に見えるのが「第1号水路橋」だ。V字渓谷の流れが急な川面と、切り立った岩、木々の緑が織り成す景観が素晴らしい。広重が描いているのも、このようなローアングルから見上げた景色だ。
三猿塔
白毛の老猿と子供たちが、手足をつなぎ対岸へと架け橋のような形となり渡っていたのをヒントに、百済からの渡来人で造園博士の志羅呼(芝耆麻呂)が猿橋を構築したという伝説にあやかった塔とのこと。
橋の下から日本三奇橋の特徴的な造りを眺めてみよう!
H鋼によるものとはいえ、嘉永四年の「出来形帳」をもとに復元された、橋脚の無い刎橋の造りに注目!
広重も惚れた名勝 猿橋!
歌川広重も『六十余州名所図会』や『甲陽猿橋之図』に、ローアングルから遥か上空に猿橋を望む絵を描いているよ!
新緑の季節と紅葉シーズンがおすすめだよ!
新緑の季節も美しいけど、紅葉時の猿橋が架かる柱川渓谷は景色が一変するよ!
猿橋 編