鶴ヶ城とは?
福島県会津若松市にある、「会津若松城」と言われる梯郭式平山城で、1990年に「鶴ヶ城公園」として『日本さくら名所100選』にも選ばれた『日本100名城』のひとつ。
1384年に、蘆名氏7代目当主 蘆名直盛が館を設けたのがその始まりで、1589年に伊達政宗の手に落ちるも1590年に没収。代わって蒲生氏郷が治め町名を「若松」と改め、1593年に5層5階地下2階の天守を築き「鶴ヶ城」とした。
以後、上杉景勝・蒲生秀行・加藤嘉明らが治めたが、1643年に保科正之が入封した後は、会津松平家として明治維新まで続いた。幕末に京都守護職として活躍した松平容保は、第9代藩主。
1868年に戊辰戦争の舞台となった後、荒廃し破却されたが、1927年に市の所有地となると、1934年に国の史跡となり、1965年に鉄筋コンクリート造の「若松城天守閣郷土博物館」として天守が再建された。
史上では「黒川城」「会津城」として登場しており、国の史跡としては「若松城跡」の名で登録されていて別名が多い。ちなみに「鶴ヶ城」という名の城は、千葉県や和歌山県・岐阜県などにもあり、また仙台市の松前城などもそう呼ばれている。
毎年4月には「鶴ヶ城さくらまつり」が、毎年9月には「会津まつり」が開催され、それぞれ期間中に「白虎隊墓前祭」も執り行われている。