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静岡県旅行観光ガイド『旧天城トンネル』 |
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Vol . 104 |
旧天城トンネル |
(静岡県 伊豆市~河津町) |
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‐ Shizuoka ‐ |
静岡 |
Presented By 星★聖 |
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旧天城トンネル(静岡 伊豆) |
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■国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』
> 旧天城トンネル |
旧天城トンネルをご覧になるにあたって |
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■ 旧天城トンネルとは?
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伊豆市湯ヶ島と河津町を結ぶ、川端康成の短編小説「伊豆の踊子」や石川さゆりが唄う「天城越え」でも有名になったトンネルで、新天城トンネルのある国道414号線から東側に逸れた標高708.74mの天城山中にある。1905年に誕生したトンネルは、全長445.5m、道幅4.1m、高さ4.2mで、切り石巻工法による芸術的な職人技と吉田石の輝きが美しい石造りのトンネルとなっている。
正式には「天城山隧道」といい、伊豆を代表する観光名所となっているこのトンネルを中心に、毎年秋の紅葉シーズンには「天城路もみじまつり」が開催される。 |
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おすすめシーズン |
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3月 |
4月 |
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紅葉 |
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切り石巻工法による芸術的な職人技と吉田石の輝きをご覧あれ!
題字と要石の掘込み掘出しが、湯ヶ島側と河津側で異なるのを見逃すな!
「天城路もみじまつり」が行われる、紅葉シーズンがおすすめだよ! |
~ 旧天城トンネル 編 ~ |
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基本情報 |
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■名称:旧天城トンネル |
■読み方:きゅうあまぎとんねる |
■所在地:静岡県伊豆市湯ケ島~河津町梨本 |
■問合せ:0558-73-0001(伊豆市観光協会) |
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『旧天城トンネル』 編 |
伊豆の踊子の舞台
川端康成の短編小説「伊豆の踊子」や、直接 歌詞としては登場しませんが、近くの「寒天橋」や「天城隧道」などが唄われた、石川さゆりが唄う、「天城越え」でも有名になったのが、伊豆を代表する観光名所でもある、『旧天城トンネル』です。
正式には、「天城山隧道」(あまぎさんずいどう)と呼ばれるこの旧天城トンネルは、伊豆市湯ヶ島と、河津町を結ぶトンネルで、「新天城トンネル」のある、国道414号線から東側に逸れた、天城山中にあります。
標高708.74mにある、この旧天城トンネルは、全長445.5m、道幅4.1m(有効幅3.5m)、高さ4.2m(有効高3.5m)の石造りのトンネルで、地元住民の長年の願いにより、明治末期の1905年に誕生しました。
ハリスも嘆いた、天城越え!
この旧天城トンネルは、その名が示すように、現在は、ほとんどが観光目的での通行しか行われなくなったトンネルです。
地元では、「旧トン」と呼ばれ親しまれているこのトンネルですが、1905年に誕生してから、1970年に現在の国道414号線にある新天城トンネルが完成するまでの間、多くの人たちの生活を支えてきました。
いつの時代から言われだしたのか、「天城越え」と言われた、この中伊豆から南伊豆へと抜ける道のりは、この旧天城トンネルができるまでは、国道を挟み反対側にある「旧天城峠」(現在の二本杉峠)を抜けるルートが一般的でした。
下田に入航し、初代アメリカ総領事にもなった、「タウンゼント・ハリス」が、日米修好通商条約締結のために、総勢350人を引き連れて江戸に向かった時に通った道も、この旧天城峠を超えるルートでした。
この天城越えのルートは、難所続きな上に、時には命がけの旅路にもなりかねない、とても険しい峠道だったと言われており、峠越えをしたハリスの旅日記においても、その模様が詳細に記されています。
南伊豆を救った男の名は?
そんな江戸末期から明治初期の伊豆半島の情勢は、海上交通の要所となっていた南伊豆の下田と三島宿から続く陸路に拓けた中伊豆地区とが、天城山を境に、完全に分断されていましたが、それでも個々に生活圏として成り立っていました。
しかしながら、1890年代となり、東海道線の開通により海上交通が衰退していくと、南伊豆の住民にとっては、天城山による生活圏の分断は、死活問題となっていきました。
陸の孤島となりかねない状況の中、南伊豆の住民は、なんとしても下田街道を整備し、容易に陸路で中伊豆と結ばれることを願いました。
そして、そんな住民たちの想いが、ひとつの伝説を生みました。
計画が持ち上がっては、幾度と無く流れていたこの夢のトンネルの完成に、業を煮やした下田の県議、矢田部強一郎議員は、天城越えの下田街道の整備を訴え、壇上に短刀を突き立て、決死の覚悟で議会を説得したと言われています。
県議会史上、異例とも言えるこの演説は、「静岡県議会史」にも、こと詳細にその時の模様が記されており、このお話は、今も地元住民の間では、語り草となっています。
総工費103,016円(現在の貨幣価値だと数十億円とも・・)、工事関係者12名の尊い犠牲の上に、1900年の着工から5年の年月を経て、南伊豆住民の念願であったトンネルは完成しました。
職人技が光る、旧天城トンネル
現在、完成から100年以上の年月が過ぎましたが、この旧天城トンネルの造りは、今も堅牢そのもので、実にすばらしいものであり、明治時代の職人の技術の高さと、こだわりが随所に見受けられます。
小説にある、「暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた・・・」の言葉通りに、トンネル内に入ると、まず最初に、その暗さと寒さを感じます。
そして、反対側の出口の明かりを目指して足を進めていくと、、小説の言葉通りに、頭や肩に、ぽたぽたと雫が落ちてきて、進むにつれて、さらに一層冷え込んでいきます。
やがて暗さに目が慣れてくると、今度は、職人技が光るトンネル内部の石造りの凄さに驚かされます。
普段、コンクリートの味気ないトンネルばかり見慣れているせいか、一個一個表情の異なる石で築かれた、この旧天城トンネルのその造りは、見れば見るほどその芸術性が高まっていきます。
そんな旧天城トンネルの石材は、伊豆の国市にある旧大仁町の吉田石が使われており、切り石巻工法という、石を1つ1つ積み上げていく、とても手の込んだ手法で造られています。
実際に、旧天城トンネルを訪れ、眺めていただければ、ここでいちいち言葉にするべくもなく、一目でその芸術的なすばらしさがご理解頂けるかと思いますが、南北のトンネルの入口にある「天城山隧道」の題字から、アーチを支える要石、入口をそれとなく飾りたてる笠石と帯石に至るまで、見れば見るほど、そのこだわりようが伝わってきます。
特に、南北の入口で、題字と要石の、掘込み、掘出しの凹凸が異なる点や、さらには題字と要石のそれが南北で互い違い(北:題字凸・要石凹、南:題字凹・要石凸)になっている点などは、職人のこだわりそのものを感じます。
是非、トンネルを歩く際は、トンネル入口上部を、よ~く眺めてからお進みください。
職人技が光る芸術的なこの旧天城トンネルは、1986年8月、「日本の道100選」に選ばれ、1998年9月には、「登録有形文化財」に、そして2001年6月15日には、道路としては初めて、国の「重要文化財」に指定されました。
踊子たちを追いかけて・・・
1926年、「文芸時代」に発表された、川端康成の「伊豆の踊子」は、過去に何度も映画やドラマ化されており、田中絹代、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵・・・と、時代を担うそうそうたる女優陣が演じてきており、相手役でも高橋英樹、三浦友和をはじめ、木村拓哉までが、この伊豆の踊子を演じています。
いつの時代にも愛され続けるこの作品ですが、そんな踊子と学生たちが歩いた天城山中の峠道が、現在ハイキングコースとして整備されています。
「踊子歩道」と呼ばれるこのハイキングコースは、「浄蓮の滝」(じょうれんのたき)から「河津七滝」(かわづななだる)へと伸びる、全長16.2kmの散策コースで、休日には、作品を思いながら周囲の景色を楽しむ方たちで賑わっています。
特に、秋の紅葉シーズンには、見ごたえのある景観が楽しめ、それに合わせて、毎年11月には、「天城路もみじまつり」が開催されます。
この旧天城トンネルでも、踊子さんを交えた楽しいイベントが行われますので、是非、タイミングが合う方は、この時期に訪れることをオススメします。
春から秋にかけては、昔懐かしいボンネットバスも走る天城路、かつて踊子一行が歩いた旧天城トンネルから始まる物語の舞台を、あなたもその足で歩いてみませんか。 |
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