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東京都旅行観光ガイド『柴又帝釈天』 |
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Vol . 109 |
柴又帝釈天 |
(東京都 葛飾区) |
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‐ Tokyo ‐ |
東京 |
Presented By 星★聖 |
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柴又帝釈天(東京 葛飾) |
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■国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』
> 柴又帝釈天 |
柴又帝釈天をご覧になるにあたって |
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■ 柴又帝釈天とは?
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東京都葛飾区の、不朽の名作
「男はつらいよ」の舞台として知られる柴又にあるお寺で、正式には経栄山
題経寺という。一般に帝釈天として親しまれているのは、1779年に9代目の住職の日敬が、本堂修復の際に発見した日蓮上人が自らお彫りになったと伝わる、長さ約75cm、幅約45cmの板に刻まれた帝釈天像を背負い、飢餓に苦しむ江戸の町を巡ったことに由来する。
やがて民衆の間に帝釈天信仰が深まり、その板本尊が安置されている帝釈堂をお参りするようになり、柴又の帝釈天として広まった。帝釈天像以外にも、随所に見られる彫刻の数々、見事なまでの瑞龍の松、関東一の鐘楼と賞される大鐘楼、大客殿やその前に広がる邃渓園など見所が多い。 |
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おすすめシーズン |
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2月 |
3月 |
4月 |
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12月 |
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単にお参りするだけでなく、彫刻に注目して見て下さい!
日本の音風景100選に選ばれた、帝釈天界隈の音を楽しもう!
参道のお店は、うなぎに草もち、くず餅と、美味しいものがいっぱいだよ! |
~ 柴又帝釈天 編 ~ |
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基本情報 |
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■名称:柴又帝釈天 |
■読み方:しばまたたいしゃくてん |
■所在地:東京都葛飾区柴又7-10-3 |
■問合せ:03-3657-2886 |
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『柴又帝釈天』 編 |
柴又のシンボル「柴又帝釈天」
世代を超えて多くのファンを持ち、今も尚人気を博している、不朽の名作 「男はつらいよ」の舞台として知られ、下町情緒豊かに人間味溢れる街として知られているのが、東京都葛飾区 「柴又」(しばまた)です。
柴又は、東京都心からは、北東に大きく外れた、千葉県との県境近くに位置し、近くを流れる県境となる江戸川には、細川たかしさんの歌でも有名になった、観光名所の 「矢切の渡し」があります。
この柴又にある矢切の渡しは、寅さんの映画にも登場していますが、そんな柴又の街にあって、街のシンボルとして縁日にはいっそうの賑わいをみせているのが、ご存知
『柴又帝釈天』(しばまたたいしゃくてん)です。
正式には、「経栄山 題経寺」(きょうえいざん
だいきょうじ)という名のお寺なのですが、柴又と言えば「寅さんと帝釈天!」と言われるように、多くの方が帝釈天と呼び、広く帝釈天の名で親しまれており、地図やガイドブックなどでもその多くが、この柴又帝釈天の名を併記しているのではないでしょうか。
正式名称を知る人は、かなり少ないように思える帝釈天ですが、そういう私も小学校の遠足で訪れて以来、ずーっと柴又帝釈天というのが正式名称だと思っていました。
帝釈天を訪れてみて、またひとつ勉強になったなぁ~という感じです。
そもそもこの題経寺が、柴又帝釈天と言われるようになったのには訳があり、18世紀も終わりにさしかかった頃、9代目の住職にあたる「亨貞院 日敬」(こうていいん
にっきょう)が、長さ約75cm、幅約45cmの板に刻まれた帝釈天像を背負い、飢餓に苦しむ江戸の町をまわっていく中で、人々がこの帝釈天像を拝んだところ、次々に不思議なご利益があった・・・とされることから、民衆の間に帝釈天信仰が深まっていき、このように呼ばれるようになったとされています。
この時背負っていた帝釈天像こそ、現在帝釈堂にある板本尊である帝釈天で、古くから日蓮上人が、御自らお彫りになられたものだと伝わるものでした。
一時期、その所在がわからなくなっていましたが、1779年、この亨貞院
日敬が、本堂修復の際にこの帝釈天を発見したことから、江戸の町を巡る事ともなり、帝釈天と呼ばれるようになっていったということです。
「彫刻の寺」の真髄がここに!
この柴又帝釈天こと題経寺は、1629年に、江戸川を挟んだ隣町である、千葉県市川市にある「中山法華経寺」の、禅那院 日忠(ぜんないん
にっちゅう)と、その弟子の「題経院 日栄」(だいきょういん
にちえい)により開基された日蓮宗のお寺で、実質的な開基とされている日栄の木像が、今も「釈迦堂」(開山堂)に安置されています。
帝釈天の名ばかりが一人歩きしており、お寺そのものの伽藍には、なかなか目が向かない柴又帝釈天ですが、実は木彫刻が有名なお寺であり、とても印象的な
「瑞龍の松」(ずいりゅうのまつ)など、建築物としても、実に見所の多いお寺となっています。
古い文献によると、江戸時代の末期には、山門やお堂、瑞龍の松などがあったとされる柴又帝釈天ですが、帝釈天入口には、その名が示すとおり、左右に四天王の増長天と広目天を配す 「二天門」があります。
総欅造りで入母屋造りの楼門であるこの二天門は、1896年に造られたとされるもので、巧みな木彫刻が施された、実にすばらしい建築物となっています。
ニ天門の左手には、「鐘楼」(しょうろう)がそびえており、正面には、同じく入母屋造りである「帝釈堂」があります。
帝釈堂は、大正年間の1915年に造られた内殿と、昭和になった1929年造営の拝殿とからなっています。
この内、奥にある内殿に、前述の亨貞院 日敬が発見し、江戸の町を担いで回ったとされる、板本尊である「帝釈天」が安置されており、左右に持国天と多聞天を従えています。
この帝釈堂も、実に巧みな木彫刻が施されており、彫刻の寺と言われる真髄が、ここに見受けられます。
特に、内殿の外部三方は彫刻で覆われており、十二支彫刻や法華経説話彫刻など、実に見事な装飾が施されていて、これらは帝釈天の見所として、彫刻ギャラリーとして一般に公開されています。
知らずに、拝殿を参るだけで帰られる方も多いようですが、是非、裏手にも足を運んでみてください。
実は、本堂はお隣なんです・・
そんな帝釈堂ですが、その名前や、参道からニ天門を抜けた正面に位置するという関係から、こちらが本堂だと思っていらっしゃる方も多いようですが、正式には本堂は、となりにある「祖師堂」となります。
帝釈堂と同じように、内殿と拝殿を構える祖師堂は、日蓮宗のお寺としての本来の機能を持ったお堂で、内部には、日蓮宗のお題目である南無妙法蓮華経を書した、ご本尊である大曼荼羅があります。
本来の日蓮宗のお寺としてのご本尊は、こちらの方なのですが、あまりにも帝釈天が有名になってしまったため、今では板本尊として帝釈天も同じような位置づけとされているようです。
そんな訳ですので、お参りになられる際には、帝釈堂だけでなく祖師堂も忘れずに拝んでいってください。
この他、最も古い建築物とされる「釈迦堂」には、前述の通り、実質的な開基とされる題経院 日栄の木造などが安置されています。
また、高さ5mで、日本一の床柱とも言われる 「南天の床柱」がある「大客殿」や、その前に広がる池泉回遊式の庭園である 「邃渓園」(すいけいえん)、御神水裏にある四菩薩のひとつ「浄行菩薩」も、ここ帝釈天の見逃せないポイントとなっています。
寅さんと生きる街
「♪~ 私
生れも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します。」
の名台詞が有名な、「寅さん」の愛称で知られる車 寅次郎主演の「男はつらいよ」シリーズは、1969年からはじまり、1995年までに公開された全48作と、1997年にラブコールのもと公開された特別編の1作を加えた49作にも及ぶ、超ロングヒット映画となりました。
1996年8月4日に、寅さん役の渥美 清さんが旅立たれたことにより、残念ながらシリーズは、終章を迎えずして打ち切りとなってしまいましが、10年以上経った現在でも、寅さんシリーズは繰り返しテレビで放映されており、熱烈なファンの支えもあり根強い人気を誇っています。
もともと、テレビドラマとして、2クール放送されていたものを受ける形で作成された映画でしたが、あれよあれよという間に、松竹を代表する、超ロングヒットシリーズとなっていきました。
みなさんの中でも、全作品をご覧になられた方もいるかと思いますが、粋で話好きな寅さんの、見かけによらず困った人を放っておけない、やさしく世話好きな一面と、フーテンと言われ、ズケズケとものを言うもうひとつの顔に、人間の機微を感じとっていた方も多いのではないでしょうか。
そんな映画史に金字塔を打ち立てた、寅さんの偉大な功績を称えて、1997年に、この柴又帝釈天から江戸川に向けて少し歩いたところに、「葛飾柴又
寅さん記念館」がオープンしました。
この寅さん記念館には、映画
「男はつらいよ」に関する膨大な資料が展示してあり、寅さんの名場面集や、彩を添えたマドンナたちの紹介があったり、原寸大セットでくるまやの撮影風景を再現したりと、とにかく寅さんに関するものがギッシリと詰めこまれており、寅さんファンならずとも楽しめる場所となっています。
柴又帝釈天を訪れた際には、寅さん記念館にも足を伸ばしてみてください。
映画を愛する人にとっては、何回訪れても涙が出るほど嬉しい場所であり、映画を知らない人にとっては、一度寅さんシリーズを見てみようかな~と思ってしまう・・・そんな場所です。
愛して止まない寅さんですが、京成柴又の駅前には、1999年8月に建てられた「車 寅次郎像」があり、柴又帝釈天への参道脇には、山田洋次監督の筆跡による、「私
生れも育ちも ・・・」の台詞が刻まれた石碑が建てられており、柴又の街と切っても切れない関係にある寅さんは、今もこの街に生き続けています。
お楽しみは、商店街!
寅さんとともに親しまれているこの柴又の街ですが、帝釈天を訪れた際の楽しみといえば、なんといっても柴又駅から帝釈天まで連なる、300mほどの参道脇にある商店街です。
葛飾区内で一番古い商店街となっている、この柴又神明会には、名物の草だんごやくず餅、煎餅などを売るお店や、昔ながらの川魚料理が味わえるお店が軒を連ねています。
変ったところでは、お土産として話題性があるもの?として、寅さんの顔かたちをした、「寅さんせんべい」なんていう、巨大なお煎餅もあります。
そしてこの商店街を歩いていて聞こえてくる様々な音が、「柴又帝釈天界隈と矢切の渡し」として、「日本の音風景100選」に選ばれています。
多くの参拝客で賑わう参道の心地よいざわめき、川魚料理屋の前を歩くと聞こえてくるあの水の音、トントンと飴を切る飴屋の音、そして朝、昼、夕を告げる大梵鐘の音と、すべてが合わさり日本人の心をくすぐる、どこか懐かしいハーモニーを聞かせてくれます。
耳を澄まして聴くような類の音ではありませんが、商店街を歩く際には、ちょっと意識してひとつひとつに耳を傾けてみてください。
そんな商店街ですが、映画の中で、第1作~第4作まで、寅さんの実家として使用された 「とらや」も、この商店街の並びにあります。
残念ながら、1989年に建替えられ、当時のお店の姿は無くなってしまいましたが、唯一、2階の寅さんの部屋へと続く階段だけが、当時のまま残されています。
店先から見えますので、誰でも気付くかと思いますが、見逃さないようにしてください。
下町情緒溢れる、この帝釈天門前の商店街ですが、右に左にジグザクと足を運びながら、昔ながらの味に舌鼓を打ち進んでいくと・・・、振り向きざまに、お団子をくわえながら、「まいう~!」と満面の笑みを浮かべる石ちゃんに出会いそうな・・・、そんな感じの商店街です。
神田・浅草・深川など、今でも下町情緒溢れるところは、いくつか残されていますが、この帝釈天参道にある商店街も、そんな古き良き時代の町人文化が感じとれる町並みとなっています。
県境近くの東京の一番外れにあり、また都会としての東京のイメージとは180度異なる柴又ですが、江戸の粋な心と、寅さんの世界を堪能しつつ、あなたも柴又帝釈天を訪れてみませんか。 |
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柴又帝釈天(東京 葛飾) |
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