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兵庫県旅行観光ガイド『北淡震災記念公園』 |
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Vol . 112 |
北淡震災記念公園 |
(兵庫県 淡路市) |
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‐ Hyogo ‐ |
兵庫 |
Presented By 星★聖 |
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北淡震災記念公園(兵庫 淡路島) |
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■国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』
> 北淡震災記念公園 |
北淡震災記念公園をご覧になるにあたって |
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■ 北淡震災記念公園とは?
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兵庫県の淡路島の北部西海岸にある、1995年1月17日に発生した
「阪神・淡路大震災」を教訓にすべく1998年にオープンした施設で、2005年の市町村合併により淡路市が誕生したことから現在の「北淡震災記念公園」の名称となる。
国指定天然記念物である野島断層を、震災当時のまま約140mにわたり現物保存する「野島断層保存館」や、その断層のすぐ横に建っていた「メモリハウス」、「活断層ラボ」「べっちゃない広場」などからなる複合施設で、阪神・淡路大震災の理解が深まるだけでなく、いつ訪れるかわからない大震災に対する意識改革から、避けられない被害を最小限に止める知恵や心構えなどが学べる施設。 |
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おすすめシーズン |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
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8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
いつ訪れても! |
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野島断層保存館を訪れ、現地現物にて震災の爪痕を体感しよう!
自分の日常の生活とダブらせイメージしながら見学してみよう!
ただ素通りするだけなら魅力半減!必ずパネルや資料を読み理解しよう! |
~ 北淡震災記念公園 編 ~ |
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基本情報 |
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■名称:北淡震災記念公園 |
■読み方:ほくだんしんさいきねんこうえん |
■所在地:兵庫県淡路市小倉177 |
■問合せ:0799-82-3020 |
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『北淡震災記念公園』 編 |
震災と正面から向き合える場!
兵庫県の淡路島の北部西海岸に、「北淡震災記念公園 ~フェニックスパーク~」(ほくだんしんさいきねんこうえん)と名付けられたひとつの施設があります。2011年に東北地方を襲った東日本大震災が起こるまで、戦後の日本にとって最も心の痛手として残る災害であり、平成世代を中心に終戦記念日が忘れ去られていく中で深く心に刻まれた一日となっていた「1.17
- 阪神・淡路大震災」の教訓を活かすべく造られた施設が、この北淡町震災記念公園です。
大震災から3年が過ぎた1998年に、北淡町震災記念公園としてオープンし、その後、2005年に市町村合併により淡路市が誕生したことから、北淡震災記念公園と名称を変え今日に至っています。
東日本大震災の記憶はまだまだ鮮明ですが、明石海峡大橋を通り淡路島へと渡り、この北淡震災記念公園のある小倉地区周辺を訪れてみると、まだまだ阪神・淡路大震災も終わっていないんだ・・・ということを実感します。
もうあれから20年近い歳月が流れているのに、未だに町では震災からの復興が続けられており、この北淡震災記念公園に向かう道の途中でも、その光景を目の当たりにしました。
この北淡震災記念公園は、この施設を訪れることにより、わたしみたいな震災に対して無防備な人間が、少しでも阪神・淡路大震災で起こった出来事に対して理解を深め、自分なりに真剣に向き合うことを促してくれるとともに、今後起こりうるであろう大震災に対して、その人なりの受け止め方や少なからず心の準備をする機会を与えてくれる・・・、そんな施設となっています。
忘れることのできない一日!
1995年1月17日、正月気分がやっと抜けた頃の早朝午前5時46分52秒に起きた、観測史上初めて震度7という揺れを記録した「兵庫県南部地震」。北緯34度36分
東経135度02分、深さ16kmの、日本の標準時に近い明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の地震は、死者6434名、負傷者4万人以上、そして25万棟近くの家屋が全半壊するという、空前の大惨事を引き起こしました。
今でこそ、あまりにも衝撃的だった未曾有の大惨事である東日本大震災の光景が目に焼き付いてしまっているため、兵庫県南部地震に端を発した阪神・淡路大震災の印象が薄れて感じますが、忘れられないあの倒壊した高速道路の映像をはじめ、日本中の人々が、今まで見たことがないような光景に、驚きと悲しみを味わった瞬間でした。
阪神・淡路大震災について、今さらわたしが多くを語る必要は無いと思います。震災については、テレビや書籍にて様々な角度から採り上げられましたし、実体験された方も数多くいらっしゃり、震災を経験していない人間が語っても説得力も無ければプラスαで語る内容も無いからです。ただ、テレビの向こうの傍観者であったわたしでも、この日の出来事は今でもはっきりと覚えています。
たまたま休日だった震災当日、朝起きてテレビから飛び込んできた映像に、着替えもせずに一日中釘付けとなっていたことを覚えています。人生において、同じように生の映像に時を忘れて釘付けとなったのは、あの2001年に起きた「9.11 - アメリカ同時多発テロ事件」の時だけでしょうか。
時間とともに次々に飛び込んでくる、600mにも及びなぎ倒された阪神高速道路、くしゃくしゃに潰れた阪急伊丹駅の駅舎、そして延々と燃え続けた長田地区などの映像は、映画の世界でしか見たことのないような衝撃的な光景であり、東日本大震災が起きた後の今でも目に焼きついています。
情報が入るにつれ、次々と被害状況を知らせるテロップの数字が上がっていく前で、何も出来ずにただただ画面を見つめるだけでした。
多くを学んだ!阪神・淡路大震災
この阪神・淡路大震災から、わたしたちは多くのことを学びました。ライフラインの早期復旧の重要性、仮設住宅の早期建設、旧建築基準法下での木造家屋の危険性、トリアージタグの書式統一、政府の情報収集能力と危機管理体制の強化、緊急時の支援ルートの確保と周辺渋滞対策、日本中に隠れている活断層の再認識など、平常な状況下ではなかなか気付かなかった問題や、今まで目をつぶってきた問題が浮き彫りにされ、真剣に向き合うことが出来ました。
また、個人レベルでも、災害伝言ダイヤルの操作方法、簡易トイレの準備、ペットボトルやカセットコンロのガス缶の備蓄、、手回し充電機能付きの懐中電灯やラジオなど、いざと言う時に何が役立ち何に一番困るのかを教えてもらいました。
その後も新潟や石川など、震度6~7という大地震が日本列島を襲い、そしてあの東日本大震災が発生しましたが、この阪神・淡路大震災から学んだことが、個人レベルでも行政レベルでも大いに生かされてきたと思います。
また、災害時のボランティア活動が、大々的に行われだしたのもこの阪神・淡路大震災がキッカケとなっており、このことは、後に1月17日が「防災とボランティアの日」となったことからも、うかがい知れます。
国の天然記念物!野島断層
そんな阪神・淡路大震災の発端となった兵庫県南部地震は、全国に2000本以上あるとされている活断層のひとつである「野島断層」(のじまだんそう)が、主に動いたことによって引き起こされたとされています。
野島断層は、「六甲・淡路断層」の一部とされており、江埼灯台付近から富島地区にまたがる長さ9~10㎞に及ぶ活断層となっています。その野島断層が、地震の際に最大で水平方向に2.1m、上下方向に1.2m、同時にズレたことが記録されています。
このズレにより断層面が剥き出しとなった野島断層を、そのままの形で保存しているのが、北淡震災記念公園の中心施設である「野島断層保存館」です。
野島断層保存館では、「断層を見ることによって、将来起こりうる大地震に備えて、少しでも防災・減災の意識を持っていただきたい」という趣旨のもと、長さ140mにわたって、野島断層そのものを建物で覆いつくし、現地現物にて保存しています。
1998年7月31日には、この野島断層保存館内の140mを含む延長185mが、国の天然記念物に指定され、同じような岐阜県の「根尾谷断層」や静岡県の「丹那断層」などとともに、断層を理解するうえで、とても貴重な文化財となっています。
約800坪にも及ぶこの野島断層保存館の入口をくぐると、まずエントランスに、国道43号線でトラックが横たわっている様子を再現した巨大な展示物が出迎えてくれます。それに続き、阪神・淡路大震災をフラッシュバックさせる、象徴的な写真のパネルが次々に並んでいます。そして、震災当時を思い起こさせる展示パネルに続く扉の向こうに、野島断層の現物保存を行っている断層保存ゾーンがあります。
野島断層については、現地現物で見ていただくのが一番であり、ここで説明してもなかなか伝わらないかと思いますが、パッと見ではわからないドラマが、この展示には隠されており、地震前の情景を思い起こしながら、眼前に広がる現実を直視して頂けたらと思います。
一瞬にして上に0.5m、横に1.3m動き、側溝がくの字に曲がった道路、真っ直ぐ並んでいた木がズレてしまった生垣、二つに分かれる断層、地割れ、延々と続く断層のズレからあらわになった断層面・・・など、どれもが興味深く心に突き刺さるモノばかりですので、パネルの説明とともに、ひとつひとつ地震前と地震後の姿を確認しながらイメージを膨らませて頂けたらと思います。
何のことはない日常の平凡な光景が一瞬にして変わり果てる様子がよくわかるかと思います。
もし自宅の庭に断層が走っていたら・・・
断層保存ゾーンをゆっくりと進んでいくと、その先にトレンチ展示があります。トレンチ展示では、断層面を掘り下げて、ガラス越しに断層の上に立てたり、野島断層の断面が見てとれるようになっています。
詳しい説明は、パネルの解説を見て頂きたいのですが、素人でもパッと見で、逆断層(傾斜した断層面に沿って、上盤が下盤よりずり上がった断層)となっている野島断層の状態や、グレーの泥層である上盤と、下盤上部の盛土層、その下の黄色い三角形の砂層など、はっきりとした地質の違いが見て取れます。ちなみに、深い部分に噴砂現象の起きた跡もあるため、このことから野島断層は、遠い昔にも活動していたことが分かっています。
このトレンチ展示は、実にいろいろなことをわたしたちに問いかけています。日頃、アスファルトやコンクリートの上ばかりを歩いていますが、その下の土が、これだけズバッと分かれている場所が、日本中あちこちに点在していることを、どれだけの人が認識しているのでしょうか。
子供の頃、よく泥遊びで庭に穴を掘っていくと、関東ローム層や砂層など、縦に堆積した層の変化をなんとなく感じたりしたものですが、縦ではなく横という、隣りあわせで地質が変わるという感覚は、地学の授業で知識としては学んでいても、感覚としては持ち合わせていませんでした。
不動産などの物件探しでも、この辺は砂地だとか粘土質だとかいった、地区ごとのおおまかな地質の違いや、ノリ面での盛土や切土の状態、過去の埋設物などは気にしても、その敷地内の地層の詳しい状態についてまでは、なかなかわたしを含め気にされる方はいないのではないでしょうか。ましてや、その土地に断層が走っているか否かなど、法的にも重要事項の説明責任はない事柄ですし、昔から住まわれている方でも、知らずに住んでいる方がほとんどではないかと思われます。
そういうわたしも、今住む家の下に、断層が走っているかどうかなど知らないひとりですが、さらにそんなことを考えさせられる展示施設が、この野島断層保存館の建物の横に建っています。
メモリアルハウスで目に留まったもの・・・
野島断層保存館を出ると、その隣に一軒の民家が建っています。一見何気ない建物なのですが、そこへと案内路が続いています。日当たりの良い389坪の土地に建つ、陸屋根の2階建のこのごくごく普通の家が、「メモリアルハウス」と言われるもので、一階が50坪、2階が24坪の鉄筋コンクリート造の建物となっています。
野島断層近くで、被害が深刻だったこの地区にあって、震災を生き抜いたということから、その名がついたとされるこの家は、建物の北側
約1mのところを、野島断層が走っており、地震により約0.2m地盤が持ち上がり、約1.2m横にスライドしました。しかしながら、耐震性に優れた鉄筋コンクリート造の家であったことから、若干の開口部の歪と、基礎ごと家が傾きはしましたが、1999年1月まで、この家の住人はこの家で生活を続けられました。
正直、メモリアルハウスの建物自体は、直接断層の真上に建っていたわけでもなく、また耐震性の高い家だったこともあり、建具の歪程度で、特に驚かされる内容ではないのですが、塀や土間のズレなど、自宅の庭先にも活断層が走っているかもしれない?ということを考えさせられる内容であるとともに、展示されていたひとつの掲示物に目がとまりました。
震災に遭った子供たちの言葉が綴られたものなのですが、テレビや新聞で、今まで多くの被災者の声を耳にしてきましたが、メモリアルハウスで語りかけてくるこの文章には重みがあり、ストレートに胸に刺さるものでした。
地震に限らず、台風や大雨などにより、今も尚多くの方が災害と戦って生きていますが、いつどこでどんな災害が起きても不思議ではない現実を改めて認識するとともに、多くの被災者が苦しみながらも乗り越えてきたその勇気を自分も持ちたい!・・・と素直に感じました。
べっちゃない!
北淡震災記念公園にはこの他に、阪神・淡路大震災を体感すべく、震災時に録音された生の効果音とともに、地震計の記録をもとに再現された兵庫県南部地震の震度7の揺れを、約40秒間体感できる「震災体験館」があります。また反対側のブースでは、阪神・淡路大震災の記録映画も上映されています。どちらも野島断層保存館やメモリアルハウスとはまた違った角度で、震災について向き合うことが出来るようなものとなっています。
エントランスから外に出ると、野島断層保存館の向かいには、「レストランさくら」や「物産館Hokudan」があります。そしてその横に、芝生の緑と三角形のモニュメントが印象的な「憩いの広場」があります。通称「べっちゃない広場」と言われるこの憩いの広場は、地元の方言で「なんてことはない、大丈夫だ!」という意味を表す言葉を冠したピラミッド型のモニュメントである「べっちゃないロック」が池の中に建っており、地震に負けないという地元の方々の熱い想いが、ここに表現されています。
このべっちゃないロックは、彫刻家の流政之氏の作品で、震災により命を落とされた地元の40人の方々の魂が眠る塚をイメージして制作されたとのことです。
何もかも失ってしまい、夢も希望も見失ってしまった時に、この「べっちゃない」のひと言が、どれだけ地元の方々を勇気づけ励みになったことか・・・。苦しい時こそ言葉の持つ重み、その力を感じるわけですが、「がんばろう神戸」の影に、こんな地元の方言が息づいていたとは・・・と、ここを訪れ初めて知りました。
北淡震災記念公園が教えてくれたこと・・・
北淡町震災記念公園のすばらしさは、器や展示装飾はあるにせよ、模型や映像だけで阪神・淡路大震災の出来事を伝えたり、地震の恐ろしさを訴えるのではなく、現実に起きた現象そのものを保存し展示公開して体感してもらっているところです。あの震災において、ほんの何秒かの間に起きた出来事が、目の前にありのまま、当時のまま広がっているわけで、それらがストレートにわたしたちに問いかけてきます。
地震による建物の倒壊や火災については、映像が派手なことや写真が多く掲載され残されていることから、日常目にする機会も多く、その恐ろしさについて多少なりとも理解しているつもりでしたが、地割れや断層のズレについては、知識としては持ち合わせていても、日常目の当たりにしていないせいか、なかなかその恐ろしさがわかっていませんでした。
いつも歩いていた散歩道が曲がり、真っ直ぐに並んだ生垣が横にズレ、自宅の塀も側溝もすべてが一瞬にして同じように同じ方向にズレていくことが、どんなに恐ろしいことかということが、この北淡震災記念公園を訪れてみて初めて理解できました。
地震の揺れで、塀が倒れたり家屋が倒壊したりすることは、それはそれで恐ろしいことですが、また造り替えれば、元に近い状態に戻すことは可能です。しかしながら、地盤のズレは半永久的に戻りません。その上にあったものの位置はもちろん戻りませんし、なによりもほんの数秒で、自分が立っているその足元が隆起し何mもスライドするということが起こりうることに、とにかく衝撃を覚えました。
ショベルカーやローリーなどの建設機械でならしたり、ただ風雨にさらされるだけでも、そのズレはいずれ消えて見えなくなるかもしれません。でも、それは表面上のことであり、地盤のズレが消える訳ではありませんし、ズレを生じた断層がそこにあるという恐怖心は、永久に拭えません。
今回の記事は、この北淡震災記念公園に関する直接的な内容が少ないかもしれませんが、それは冒頭でお話ししたように、やはり現地現物で現実を感じてもらうしかないように思えるからです。わたしもそうでしたが、大震災の実体験の無い人間は、実際に目にしないことには理解できないことがあまりにも多いからです。
神戸淡路鳴門自動車道のルートからは離れ、「淡路夢舞台」や「国営明石海峡公園」など、淡路島の東海岸の観光スポットからすると、地味でアクセスに難のある場所かもしれませんが、是非とも一度は訪れて頂き、ご自身の目で震災の爪痕と正面から向き合って頂きたいと思います。
車をとめ、入口からこの北淡町震災記念公園に入った時には、単なる観光気分でしかなかったわたしが、再びゲートを通った時にはすっかり変ったいたように、震災経験のない方には同じような経験をして頂けたらと節に願います。
起きてしまったらしょうがない!その時はその時だ!では済まされない現実を、この北淡震災記念公園は教えてくれるはずです。
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・・・ 北淡震災記念公園を見た人は、こんな観光スポットもチェックしているよ! |
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北淡震災記念公園(兵庫 淡路島) |
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