岡山県旅行観光ガイド『宮本武蔵像
宮本武蔵像 Vol . 16
宮本武蔵像
(岡山県 美作市)
‐ Okayama ‐
岡山
Presented By 星★聖
宮本武蔵像(岡山 美作)
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宮本武蔵像の評価
宮本武蔵像の評価
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■ 宮本武蔵像とは?

 岡山県の美作市宮本にある、武蔵の里の五輪坊に建つ銅像で、彫刻家である富永直樹氏の作品。幼少青年期を過ごした故郷にちなんで、武蔵の代名詞でもある二刀流の姿を表現した銅像となっているが、この地にちなんだ青年武蔵として、晩年熊本にてまとめあげた「二天一流」の兵法の域に達した構えにはなっていない。
 若かりし頃の武蔵像は非常に珍しく、悟りきった晩年の武蔵像との対比において、この武蔵の里に建つ銅像は非常に興味深い像となっている。

宮本武蔵像のPR
おすすめシーズン
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
通年、いつでも!
少年時代の武蔵と若かりし頃の武蔵、剣の道を極めた後の武蔵の像の
  それぞれの像が見せる下半身の重みや空気感を感じてみてください。
二天一流開眼前の二刀流の左右の剣の長さや構え方に注目!
~ 宮本武蔵像 編 ~ 温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
宮本武蔵像の見所
二天一流 開眼前の二刀流 若かりし頃の武蔵像 少年時代の武蔵像
二天一流 開眼前の二刀流 若かりし頃の武蔵像 少年時代の武蔵像
晩年の像と比べて、全体的な重心の取り方や構えからくる空気感が全く異なる。上段に構える姿や、二天一流 開眼前の二刀流の左右の剣の長さにも注目! 精悍な顔つきを見せる若かりし頃の武蔵。剣を持つ手も、心なしか力が入っているように感じられる。 智頭急行の宮本武蔵駅前にある像で、又八とお通を従えはしゃいで駆けまわる感じの像。武蔵ではなくたけぞうだ!
橋の欄干に建つ武蔵像 武蔵が放つオーラ 道場に掲げられている武蔵画
橋の欄干に建つ武蔵像 武蔵が放つオーラ 道場に掲げられている武蔵画
上の写真の武蔵と見比べてほしい。力任せに構える若し頃の武蔵と、剣の道を極めた武蔵の空気感の違いを! 悟りきった者の構えには、近づくことさえ許さないオーラが漂っている。実に見事にそれを表現した銅像に思える。 道場に掲げられている武蔵の画。二天一流の境地に達したオーラがここに感じられる。明らかに左右の太刀の長さが異なる。
宮本武蔵像の地図
基本情報
■名称:宮本武蔵像
■読み方:みやもとむさしぞう
■ホームページ:リゾート武蔵の里
■所在地:岡山県美作市宮本94
■問合せ:0868-78-0634
観光情報
岡山県グルメ情報
星★聖の名勝・史跡探訪記 『宮本武蔵像』 編

若かりし頃の宮本武蔵!

 美作(みまさか)の国、今の岡山県の美作市宮本(旧大原町)にある、「武蔵の里」にたっている銅像が、この『宮本武蔵』像です。兵庫県との県境近くにある、この美作市宮本は、宮本武蔵の故郷とされるところで、市町村合併により、その名が復活しました。

 宮本武蔵は、1584年にこの美作で、父である無二斉と、母のお政の次男として誕生したとされ、小説の中では、無二斉の非常に厳しい父親像が描かれていますが、実際にこの地で育てられた武蔵の生活がどのようなものだったかは、詳しくはわかりません。
 佐々木小次郎との「巌流島」の決闘の勝者であり、「二刀流」や、晩年まとめあげた「二天一流」の兵法や「五輪書」でもその名が知られる剣聖 宮本武蔵は、熊本や山口など、武蔵ゆかりの地にいくつかの銅像が建てられていますが、この武蔵の里にある富永直樹氏の作品である武蔵像は、一瞬アレ?と思う、見慣れた宮本武蔵のイメージとはちょっとかけ離れた若かりし頃の武蔵像となっています。
 どちらかというと、晩年の落ち着きはらった、すべてを悟りきったような隙の無い下段の構えを見せる武蔵像が、武蔵の一般的なイメージとして定着している中、この武蔵像は、力任せに剣を振りかざし、勢いで戦うかのごとく、戦闘意欲むき出しの、どこか精神的な未熟さを垣間見せる宮本武蔵像となっています。決して弱いわけではなくて、強さだけが全面に出ている・・・、そんな感じの銅像に感じられます。

 また二刀流の、左右の剣の長さにも注目で、左手に小太刀を持つ二天一流の兵法は、晩年熊本にてまとめあげられた姿だったことを意識してか、この像ではあへて剣の長さに違いを持たせていないようです。この像は、幼少青年期を過ごした、この美作の地にちなみ制作されたものと思え、ある意味ちょっと新鮮な感じがするとともに、一般的な武蔵像との比較において、宮本武蔵の人間としての成長が、銅像の対比により感じられます。

 ちなみに、武蔵の里へ向かう途中の橋の欄干には、武蔵の一般的なイメージである、戦わずして勝つ、近寄りがたい馴染のある武蔵像が建っています。真剣勝負をするとして、それぞれの像の前に向き合い立ってみると、空気感の違いがよくわかります。自分が武蔵を前に動けるかどうか…、そんな点にも注目で、晩年の武蔵は、先に動いたら負けそうな、そんなオーラが感じられます。


3つの宮本武蔵像に出遭うまち

 武蔵の里には「武蔵神社」をはじめ、武蔵ゆかりの観光スポットがいくつかあるのですが、そんな観光地を巡る楽しみとは別に、この町を巡る楽しさのひとつに、この町で出遭ういくつかの武蔵像の違いがあります。先の橋の欄干の武蔵像もそうですが、もうひとつ特に注目すべき武蔵像が、この美作の地にはあります。

 それが、この武蔵の里へ行く際の最寄り駅となる、智頭急行の「宮本武蔵駅」前にある武蔵像です。美作でなく駅名が宮本武蔵駅でなければ、まずパッと見で武蔵とわかる人はいないと思われる、非常に珍しい少年時代の、無邪気に走り回る武蔵像がここにあります。
 両脇に幼なじみの又八お通を従え、元気にはしゃぐその像は、もはや武蔵ではなく少年時代の「たけぞう」であり、又八やお通とともに、この美作の地で、元気な幼少期を過ごしたたけぞうの姿が、ここにあります。
 これはこれで、また面白い武蔵像となっていますので、是非とも他の武蔵像と比較しながら眺めてみてください。


武蔵が生涯追い求めたものとは・・・

 宮本武蔵が、初めて試合に臨んだのは13歳の時で、その時、有馬喜兵衛(ありまきへい)を倒して以来、「巌流島の決闘」が行われた29歳までの間、60余度の勝負に挑みながら、一度も敗れなかったと言われています。
 17年間で60数試合ですから、年間3~4試合をしていた計算になりますが、今で言うボクサーよりは試合数が多く、相撲の力士よりは全然少ない・・・、ちょうどK1ファイターくらいの試合数といったところでしょうか。

 巌流島の決闘で、佐々木小次郎に勝ち、「天下一の兵法者」となった宮本武蔵ですが、剣の道は技だけではなく、もっともっと奥深いものなのではないか?…と本格的に悟りはじめ、晩年はただひたすら自己鍛錬の道へと入っていきました。
 そんな宮本武蔵が、己の兵法に磨きをかけ、はじめてその神髄を会得したとされるのが、実に50歳の時だったとされていますので、戦いをやめてから20年以上の月日をこの自己鍛錬の道に捧げています。
 しかしながら、五輪書をはじめ、数々の遺作が残されていますが、それらの文字や絵の中にこめられた武蔵の本意は、正確にはつかみきれません。20年以上もの歳月をかけ、たどり着いた宮本武蔵の神髄とは、どのようなものだったのか?、今も多くの作家や学者などが、武蔵について研究を重ね様々な著書を出版したりしていますが、本当の意味で宮本武蔵の神髄に迫ることができるのは、武蔵の域に達した者だけであり、この武蔵の心は未だ正確には汲み取ることは出来ていないのではないでしょうか。

 晩年の武蔵には隙が無く、たとえ剣を持っていなくとも、全身からみなぎる気で、つけ入る隙を与えず、動いたら自分が負けるというオーラを放ち、戦わずして相手を圧倒していた言われています。そんな境地に達した武蔵でしたが、老いには勝てず1645年、熊本の「千葉城」で、62年の生涯を閉じることとなりました。

 日本人が愛する人物のひとりである宮本武蔵は、400年たった現在においても、少しでも武蔵から学びたいと多くの人がその人生や考え方などに興味を持ち続けています。武蔵の生涯から何かをつかみたい方、武蔵のルーツに迫りたい方、若かりし頃の宮本武蔵という人物を垣間見たい方は、是非この武蔵の故郷美作に建つ銅像へと足を運んでみてください。きっと何かのヒントが得られるはずですよ!


温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
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