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福岡県旅行観光ガイド『御花・松濤園』 |
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Vol . 89 |
御花・松濤園 |
(福岡県 柳川市) |
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‐ Fukuoka ‐ |
福岡 |
Presented By 星★聖 |
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御花・松濤園(福岡 柳川) |
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■国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』
> 御花・松濤園 |
御花・松濤園をご覧になるにあたって |
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■ 御花・松濤園とは?
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代々柳川藩主を務めていた立花家により、江戸時代に設けられた別邸が、明治時代の1909年から翌年にかけて、第14代
立花寛治公により迎賓館としての西洋館や和館が造られ整備されたもので、国指定名勝にもなっている「松濤園」が特に有名なところ。現在は観光施設としてだけでなく、料亭や結構式場としても営業を行っている。 |
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おすすめシーズン |
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100畳の大広間から、松島を模した名勝 松濤園の庭を楽しもう!
今度は対月館の2階バルコニーより、上から松濤園を眺めてみよう!
西洋館の造りや立花家史料館の調度品など、見るべきものは多いよ! |
~ 御花・松濤園 編 ~ |
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基本情報 |
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■名称:御花・松濤園 |
■読み方:おはな・しょうとうえん |
■ホームページ:柳川御花 |
■所在地:福岡県柳川市新外町1 |
■問合せ:0944-73-2189 |
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『御花・松濤園』 編 |
水郷柳川の中心地!
全国各地、川下りで有名な地はたくさんありますが、「どんこ舟」を操る船頭さんの名人芸が、観光名物にもなっているのが、九州は「柳川」(やながわ)の川下りです。
歌いながら頭を下げ橋をくぐり抜ける様や、ぶつかりそうなくらい狭い水門をいとも簡単にどんこ舟を操り抜けていく船頭さんの技は、まさに名人芸であり、この柳川の川下りの楽しみのひとつでもあります。
その柳川の町にあって、賑わっている場所と言えば、近くに川下りの船着場もある、ここ 『御花・松濤園』(おはな・しょうとうえん)です。
御花・松濤園は、水郷柳川の町にあって、ツアーバスなど多くの観光客が訪れる、柳川観光の中心地となっています。
近くには、お土産屋さんも多く、「北原白秋の生家」や、「クレド美術館」、そして忘れてならない柳川名物のうなぎ屋さんなどもあります。
今も昔も、お城と並んで柳川の中心地となっているのが、この御花・松濤園です。
御花のルーツ!
この御花・松濤園の歴史は、ちょっと複雑な事情があるようで、ハッキリとはしませんが、江戸時代の1697年に、四代領主 立花鑑虎(たちばなあきとら)公が、お堀に囲まれた、東京ドームの面積のちょうど半分にあたる約7000坪の敷地に、「集景亭」という別邸を構えたことに始まるようです。
しかしながら公式ホームページでは、1738年に五代藩主 立花貞俶公により…となっています。
また四方を掘りに囲まれたこの地が、当時、柳川の人々の間では、「花畠」と言われていた場所だったことから、やがて敬意を評して「御花」と言われるようになり、それがいつしかこの別邸を含め、広く立花家のことをさして言うことになった…というくだりについても、実は柳川藩の奥機能がここに移され、俗に言う花畑から御花となったという説もあります。
いずれにせよ、現在の美しい御花・松濤園を楽しむ上ではどちらでもよいことであり、さして気にすることではありませんが、立花家が名門であることには変わりありません。
立花家は、もともと大友氏の流れをくむ武家で、立花道雪や、その養子立花宗茂は、大友氏より立花城を任され、その任についていました。
後に豊臣秀吉に、九州第一の者と言わせるほどの武人であった立花宗茂は、秀吉による九州征伐が行われた後、この筑後柳川の地、13万2000石を任せられることとなりました。
しかしながら、秀吉の恩義に報いる為、関が原の戦いで、西軍に組した立花宗茂は、徳川家康により、この柳川の地を召し上げられてしまいました。
せっかく手にした所領を手放すこととなった立花宗茂でしたが、武人としての立ち居振る舞いが、後に家康にも認められ、1606年には、陸奥国棚倉にて大名として取り立てられました。
そして、その後の活躍もあり、1620年には、2代将軍徳川秀忠により、絶家してしまった田中氏に代わり、柳川所領を再度任されることとなりました。
その後、13代 立花鑑寛公の時に、明治維新を迎えるまで、この柳川の地を治めてきました。
維新後は、華族として伯爵の地位を授けられ、柳川の町を統治する立場からは離れましたが、御花は、広く庶民に愛され続けました。
宴の世界がここにある・・
この御花・松濤園の敷地内には、様々な建物や、四季折々の景色が楽しめる庭がありますが、その大部分は、明治時代の1909年から翌年にかけて、第14代 立花寛治公により造られたものとなっています。
正面入口を入り、まず目を引くのが、見るからに明治の建築物という感じの建物である洋館です。
その名もズバリ「西洋館」というこの建物は、1910年に建てられたもので、迎賓館としての役目を担っていました。
同じく迎賓館として知られる「鹿鳴館」にも通じるその造りは、見るからに艶やかで、床、壁、天井などは言うに及ばず、鏡やランプなど、今も残る調度品の数々に、明治の面影を感じるとともに、華やかだった当時の宴の姿が垣間見れます。
さぞかし華やかな園遊会が、この西洋館にて行われていたことでしょう。
ミニチュア版、松島!
西洋館から続く「本館」は、一転して伝統的な日本建築物となっています。
豪勢な床の間を持つ広い畳の間や、色調高い掛け軸、器類などに、立花家の家柄の高さがうかがえます。
そしてその奥に広がるのが、「松濤園」と呼ばれる日本庭園です。
日本三景にして、松尾芭蕉(実際には芭蕉作ではありませんが・・)の、「松島や ああ松島や・・・」の句で有名な、あの「松島」を模して造られたという庭園は、今も残る樹齢何百年という松の木の緑がとても映える庭園となっています。
池には、松島の景色をつくりあげている島々に代わり、大小さまざまな岩が巧みに配されており、周囲の松とともに、見事な景観をつくり上げています。
秋から春にかけては、鴨が飛来してくるというこの松濤園は、国指定名勝にもなっており、文字通り御花・松濤園の顔となっています。
この見事な庭の景色を眺めながらとる食事も格別で、料亭やお食事処「対月館」では、この松濤園の景色を存分に味わいながら、ゆっくりと食事をすることができます。
また、夏場は、松濤園につづく芝生にて、ガーデンバーベキューが楽しめるとのことですので、気の合う仲間や、同窓会などの集まりで、ちょっと贅沢なひとときを過ごしてみるのもいいかもしれません。
みなさんも、松濤園の眺めと、四季折々の花々を楽しみつつ、格式高き家柄の、立花家の文化に触れてみませんか。 |
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